東京上野の国立科学博物館で開催されている「医は仁術」展。
江戸時代の医療技術展という、ちょっと変わった企画。
ドラマ「仁」の世界、そんな企画展です。(といいつつも、私は、仁、見てなかったのですが)
今の日本は西洋医学が主流ですが、歴史的に見ても、全身麻酔を世界に先駆けて実現したのは日本の華岡青洲ですし、東洋とも西洋ともつかない不思議な文化を培ってきた日本の医学史。
期待ほどではありませんでしたが、まあ、面白かったです。
このブログでも過去になんども古い手術器具とか、外国の医療史博物館の話題は取り上げてきましたが、そんな延長でこの展覧会のことも取り上げてみました。
展示物はというと、かつての医学書や図譜が中心。
私の好きな昔の医療器具はそれほどなかったです。
展示として目を引くのは昔の解剖図譜。
刑場で首を切られて、そのまま解体されていく場面の絵巻物(?)が、これでもか! というくらいに並んでいます。基本、筆で書かれた「絵」なのですが、リアルな解剖場面とはまた違う生々しさがありました。
医療者じゃない人とデートで行くのは避けたほうがいいかな。
問題ありで今は日本から根絶された「人体の不思議展」、カップルで来ている人が多かったけど、あんな気軽な感じとはちょっと違って少しヘビーな印象。
ターヘル・アナトミアに代表されるように江戸時代の医学といえば、刑場で腑分けがシンボル的な印象はありますが、どうもそのあたりのイメージ先行な構成だった印象は否めません。
あと、医学的な監修がどうのこうのという企画展でもないため、基本コンセプトは極めて素人チック。
このあたりが鼻につく医療者もいるかもしれません。
そもそもタイトルである「医は仁術」ってやつ。
その意味するところは損得なしに人を助ける心、みたいな論調のようで、まあ、医療者を志す初心としては大切だし、いいと思うんですが、良くないなと思ったのが、展示の一番最後にある無声動画のアニメーション。
ギネの医者をしているお母さん。親子で遊園地に行っている時も緊急呼び出し。娘の誕生日でも仕事優先。それで娘がグレてヤンキーに。そんな中、お母さんが脳出血(?)で他界。娘はグレたことを後悔。そこで幻想の世界で、生きていた頃のママの病院での仕事ぶり、人々から感謝されている姿を見て、涙する、みたいなアニメ。そこに妻や母親を犠牲にして全身麻酔薬を開発した華岡青洲とか、無料の診療所を設置した江戸時代に人の姿などを重ねている、という構成になっています。
家族をないがしろにして、家庭崩壊に至る産婦人科の女医家族。
それを仁術とからに結びつけるのは浅はかすぎないかい? と思ってしまいます。
命に関する責任のある仕事をしているのは尊い。それは否定しません。
しかし、OFFの日まで、子どもの誕生日を蹴ってまで仕事に行かなくちゃいけないというのは、仁術なんかじゃなくて、ただの労働システムの不備だと思うんですよね。
医者の世界はそれが当たり前なのは知っています。でもそれをあたりまえと思っちゃいけない。
看護師ではそのようなことは基本ありません。(オペ室は近いものがありますが)
なぜなら、交代勤務で雇用人数が確保されており、チーム制が敷かれているからです。
日本の医者はなぜそれができないかって、医者の人数が少ないから。
でもそれは国のせい。医者が増えすぎないようにコントロールしているのは国ですからね。
厚生省の医師需給見通しに基づいて閣議決定されるのが全国の医学部定員。
人間としてあたりまえの労働条件を叶えるためには、医師を増やす、つまり医学部の定員を増やす必要があるのにそれを規制して増やさないのは国の施策。
理由は知りませんけど、そうやって医者をこき使うシステムの不備を「仁術」とやらで、美談化する風潮は受け入れられません。
この「医は仁術」展、きっとコンセプトは一般受けする内容と思いますが、医療従事者の方たちはどう感じたでしょうか?