それでも病院は使い回しをやめさせなかった。
だから、最後は強硬手段として、「ナースが手術介助を拒否する」というボイコット運動に。結果、オペを担当するナースが主任看護師以外いなくなり、それでようやく去年の11月に使い回しが是正されたわけですが、私が拒否宣言を出した時、オペ室内でも賛否両論ありました。
使い回しは問題だと思うけど、手術介助のボイコットを扇動する私のやり方が正しいとは思えない、と。
その時、師長、主任を含め、何人ものベテラン看護師から次のようなことを言われました。
「白内障手術の患者さんは手術後の視力を取り戻した生活をとても楽しみにしている。そのために予約して何ヶ月も待ってオペを受けにやってくる。その患者さんの気持ちを考えたら、オペを止めることは、良くないと思う」
このことを、真顔で何人にも言われたし、手術室のリーダー会と呼ばれる会議でも公然と語られた論理です。
さて、皆さん、どう思いますか?
「犯罪者を検挙するとき、被疑者の家族や親類に迷惑がかかる、という点まで考慮するのは社会的に普通の考え方ですか?」
犯罪者になるには、その周りの環境や状況、その人が置かれている立場などがあり、一概に犯罪者=悪い奴らとは結びつかないと思います。
犯罪者も同じ人間です。その過ちを正すために検挙をする場合があっても必要以上に騒ぎ立てる必要はないと思います。(犯罪の内容にもよりますが・・・)
NHKで火曜日10時から「いつか陽のあたる場所で」というドラマがあります。犯罪を犯すと、その家族も同じように苦しみを味わうということが理解できます。一度見てください。
そんなことより、確かに私は第3者ですが、同じ手術室看護師としての自分の意見を述べています。なので、第3者でも、当事者でも意見は同じです。第3者のほうが当事者よりも客観的な意見が出ると私は思います。
「この問題は私の看護師生命をかけた問題として本気で取り組んでいく」消費税増税をした一時の総理大臣のセリフと同じですね。本当に周りが見えていますか?ある国のようにデモを起こして「自分たちで自分の国を破壊する」というようになることをとても危惧しています。
また意見ください。
ご紹介頂いたテレビドラマは存じませんが、犯罪を犯すと家族が苦しむのは容易に想像できます。でも家族が告発者を恨むのは、世間的に逆恨みと言われませんか? 悪いのは犯罪を犯した人です。
ここまでは同意いただけるのではないかと思いますが、要は私がマスコミ云々と言っているのが、気に入らない、そこでしょうか?
私だって大きなリスクを背負って、一連の行動に出ているわけです。自分と家族を守る保険は必要。その気持、わかりますかね?
私は、管理人さんは正しいと思います。患者さんや周りの方への影響が云々…という意見も一理あるかも知れません。ですが、それはきれいごとです。
そう言う方達も、自分や家族に使い回しをされたら、医療職の免許を振りかざして病院を告発すると思いますよ。
たかが、白内障のオペと思われるかもですが、眼の粘膜は繊細です。粘膜で最も被爆が多いのは眼だと聞いています。
医療界がこれだけ、感染症に対してナーバスになってきているのに、最も安全で清潔であるはずのオペ室で、許されるべきことではありません。私はそう思います。
臨床工学技士をしております。
いつも拝見させていただいております。
私の所属している病院もとても大きな組織でもしかしたら同じ組織なのかもと考えていました。
よく医療安全トップでも隠ぺいしようとしています。最後の砦なのにと嘆く毎日です。
今の病院に移って2年になりますが、まるで中国経済のように何十年も遅れているように思います。
この業界はオープンなようでクローズされています。当たり前のことを言っても、通らないんですよね。
現在8年目ですが、よく上層部に噛みつきます。それに対して「まだ子供」と言われます。政治家のように根回しできる人間が大人であって、そういう人間が仕事を行うといわれました。
私は病院の理念というものが嫌いです。
適当に言葉を並べ、高度な医療の提供だとか患者のためにとか上辺だけの理念なんて必要ないと思います。
本部にまで言って話するなんてなかなかできません。
私はすごいなって思いました。
私たちはプロです。信念持たずして何がプロだと思います。
当たり前のことがまかりとおらないのが当たり前になっていますが、許してはいけないことだと思います。
自分の家族にも提供できる医療なのか聞きたいです。
病院の体質は変わりませんが、是正し再スタートしていただけることを望みます。
経営者はそんなことしてくれませんが。
応援しています。
管理人さんの行いは、看護師の倫理綱領から考えて、正しいものだったと思います。
今日に至まで、熟考され、多大なる代償を払ってまで行われたことに敬意を表します。
これからも様々な面で大変だと思いますが、ご自身の心と身体を壊さぬようにしてください。
ならぬことはならぬのです。
間違いは正すべきです。
また、間違いを正そうとしないだけでなく、真実を見ない、
不当な圧力をかけてくる、そんなことを組織的に行ってはダメなのです。
ずたずたにされた、看護チームの倫理観や正義感に対して、責任を取ってもらいたいと思うのです。
話は変わるのですが、
私は、医師の暴言・暴力と、それを容認してきた組織とのはざまに立って戦っています。
多くの看護師が、わけのわからぬまま、人格を否定され、行動を制限され、自分が自分でいられなくなり、職場を去りました。
私たちはプロです。脅しや、威嚇でコントロールされる人間ではないのです。
でも、限界を感じています。
私は破壊もいとわないといいながら、
やっぱり自分がかわいいのかもしれないです。
「眼科のオペを止めるなんて患者さんのためにならないでしょ」
と、同じような構造の中に私もいます。
どんなに暴力があったって、
診療を止めるわけにはいかないでしょう?
いる人たちで何とかしなくちゃダメでしょう?
と…
根本的な解決が望めないまま、
今週だけ、今週だけ…と続いている現状。
私は何もできないでいる…
めっつぇんばーむさんを心から尊敬します。
私がその場で返したのは、「患者のためっていうけど、結果的にあなたは何を守っているの? 患者より病院組織じゃないの? じゃ、使い回しを続けることは正しいことなんだ?」という点。
患者は不潔な手術を受けさせられていることは知りません。知った上で、やっぱり一日も速く手術を受けたいと判断するなら、それはインフォームド・コンセント。でも、不潔な状態を知らないとするとフェアじゃないし、それって医療者の勝手な価値観の押し付け。患者のためでもなんでもありません。
この場で書くと、誰もが正しいことを言います。でも、その場に当事者になると、いま思っているのと同じ事が言えるかというと、どうやら違うかもしれないというのが今回の私の学びでした。
長く組織人をしていると、なんだか違う価値観が自然と刷り込まれるんだなって。さらにいうと、自己正当化なのかなと思いました。間違っているのはわかっているけど、あまりに大きな問題過ぎて、これまで自分たちが行なってきた現実が正しいと信じたい。そんな自己防衛本能が判断を狂わせたのか。人間心理を巡っても多くの不思議を体験しました。
自分の身を修める修行をしないと、自分の人生哲学を通す生き方ができないので、やっぱり周囲に流されてしまうんじゃないかなと思います。
もちろん自分を生かして組織を生かすことができればいいですが、できなければ自分を押し通すしかないと思うのですけどね、、
日本で宗教というと新興宗教が一般イメージとして定着しちゃって、誤解しているナースも多いですが、宗教って生き方というか、絶対的な価値観ってこと。それがないから判断できない人が多い。誰もいないけど神様が見ているからやめておこうと考えられるかどうかー。
宗教も関連があるかもですね。日本人の宗教観は厳然としてあると思うのですが、宗教よりも所属するコミュニティの価値観重視になってしまいそこから抜け出せないのは、いじめ問題でも構造は一緒ですよね。。