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2011年08月10日

「研究ごっこ」の弊害・・・結果を出せてない「看護研究」制度

Twitter 上で反響が大きかった看護研究の弊害についての話題、すこしこちらにも書きとめておきたいと思います。

ここでいう「看護研究」とはいわゆるカンケン(看研)のことです。

病院勤務ナースが持ちまわりでやらされるアレ。

看護研究はするな! 看護学雑誌特集記事

さて、いわゆる看研、あれって「研究」ではないですよね?

ある人は、夏休みの自由研究みたいなものと表現しました。私に言わせれば「研究ごっこ」。

問題は、本人たちは研究をしていると思い込んでいることです。そしてやらせている病院の教育部の人たちもそう信じていること。

病院で当番として強制的にやらされる研究、看研はたいていは病院の教育プログラムの一環として行われているものです。

つまり看研とは、問題解決法のひとつとして「研究」という手法を身につけるための教育課程と言えます。別の言い方をすれば、目的を持った研修プログラム。

その目的は、問題解決手法として「研究」を使いこなせる人材の養成、のはず。

そのために、お作法としての研究を体験させられるわけです。

つまり研究の中身が大切なのではなくて、研究という形式を踏むことにメインフォーカスされているのが「看護研究」の特徴。

だから、やもするとテーマを自分で決められなかったり、アドバイスという名の外部圧力でテーマを変えざるを得ないということが、普通に起こります。

テーマが選べない、アドバイスを受けるうちに自分の興味のない全然別のテーマにさせられた。

看護研究は、研究内容はなんだっていいんです。お作法にのっとって研究のプロセスを踏み、論文の体裁を整えて、発表する。その一連の流れが大切なのです。

中身云々より、模擬体験をさせること。だから研究ごっこ。

これは、本来の研究の動機、目的を考えたらそれは有り得ない話です。

本末転倒。

こう考えるといろいろ納得できませんか?



看護研究制度を目的を持った研修プログラムと位置づけた場合、面白い考察ができます。

それはその研修プログラムが目的を達しているか、アウトカムを出せているか? という点。

つまり、日常的に研究という手法を問題解決に使いこなす人材を作れているか、という問題です。

この点は、皆さんに聞いたほうが早いでしょうね。

一度看研をやって、その後、自主的に研究をしたことある人、どれだけいますか?

もう二度とやりたくない!

看研のせいで病院を辞めた!

なんて話はよく聞きます。

つまり人材育成という面で、「看護研究」課程は成功しているとはいえない現状、と思いません?


なにがいけないのかというと、要は看護研究は、研究手法やお作法といったテクニカルなことしか教えていないことにあります。

「やり方は教えた、ほら、あとは自分でできるでしょ」

という丸投げな態度。

成人学習の理論で言うと、いちばん大事なものが抜けています。

それはモチベーションへの働きかけ、そして、研究手法を身につけると、どんないいことがあるのかという自分との関連性の示唆。

これがないから、看護研究は苦痛なだけの苦行に終わり「もう研究なんか絶対しない!」という研究嫌いを増産しているのです。

成人の学びは自ら必要性を感じ自ら学ぶものです。やらされた感の中からは何も生まれませんし、残りません。

せめて研究テーマくらい好きなように選ばせてあげればいいのに、とホント思います。ここが納得しなければやる意味ないです。学習効果もこの時点でほぼ期待できない。

あと、研究手法の活用法ももうちょっと現実的な話で説明してあげればいいのに。なにも学会発表するだけが研究じゃありません。

ちょっとした職場内での業務改善にだって研究手法は使えますし、いちばん生きてくるのが病院の中で何かを提案したり、制度を変えようとするときでしょうね。

日頃の愚痴を愚痴で終わらせたくなければ、研究の手法をとって、文献を調べデータを取って理路整然とまとめて、提出すればいいんです。

これでたいていのことは変わります。

卑近な例で恐縮ですが、これでうちのオペ室、サービス残業がなくなりましたし、土曜日オンコール待機の手当てが増額されましたし、数々の悪しき慣習に終止符を打つことができました。

別に「研究」をしなくたって、研究のプロセスを使えば大げさな言い方をすれば、社会を動かせるのです。

自分の意見を理論立てて、文献から他者の言葉添えをもらい、相手を説得させる文章を書き、プレゼンをする。

これを研究と呼ぶか、一般企業的にプレゼンテーションと呼ぶか。

まあ、どっちでもいいのですが、ナースにとってはそんな社会PR力をつける格好の機会が看護研究なので、ぜひそれを活用してほしいと思っています。

ただ、現在の教育システムとしての看護研究は、成人学習理論的にダメダメなのが残念。

病院の教育担当者は、ぜひPDCAサイクル(plan-do-check-act)に照らして看護研究制度を見直してもらいたいものです。

自分たちがやらせている看護研究の目的はなんなのか? そしてそれはアウトカムを出せているのか?

なんとなく慣習でやるもの、もしそんな程度でやらせているなら、やめてしまえ、と言いたい。

不毛な強制で、もうこれ以上、苦しめないでください。

せっかくの学びと発展のチャンスをつぶさないでください。


関連記事:『ナースのプレゼンテーション〜「看護研究」を考える』

参考記事:対談:研究以前のリテラシー(週間医学界新聞)




posted by Metzenbaum at 19:35| Comment(3) | TrackBack(1) | 看護師スキルアップ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
看研!

はじめて聞きました。
どこの職場も、それどうなん!って事があるんですね。

最近自分が職場に思っている、それどうなん!っは。
会社オーナーが何をしているのかを社員全員が知らない事です。
今日、彼は何をしてるんだか。。。
Posted by 太田タクヤ at 2011年08月12日 22:17
同感です!
Posted by ミヤモトチエミ at 2011年11月18日 09:57
同感です。私も看護師時代に看護研究による日勤、夜勤後のサービス残業で病院内に遅くまでメンバーと残った経験がありもう二度と正社員で働くかと誓いました。今は看護師辞めてます。看護師復帰するならパートかクリニックかな。
Posted by maki at 2011年12月15日 11:33
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自由研究止めちまえ また
Excerpt: 数カ国の比較で、日本の高校生は理科好きが少ないという毎度の調査結果が昨日朝のニュースに出ていた。理科好きが少ないのは毎度のことなのだけれども、「社会に出たら理科は必要なくなる 44%」というのが、なか..
Weblog: ミクロ・マクロ・時々風景
Tracked: 2014-08-20 21:04
2011年08月10日

「研究ごっこ」の弊害・・・結果を出せてない「看護研究」制度

Twitter 上で反響が大きかった看護研究の弊害についての話題、すこしこちらにも書きとめておきたいと思います。

ここでいう「看護研究」とはいわゆるカンケン(看研)のことです。

病院勤務ナースが持ちまわりでやらされるアレ。

看護研究はするな! 看護学雑誌特集記事

さて、いわゆる看研、あれって「研究」ではないですよね?

ある人は、夏休みの自由研究みたいなものと表現しました。私に言わせれば「研究ごっこ」。

問題は、本人たちは研究をしていると思い込んでいることです。そしてやらせている病院の教育部の人たちもそう信じていること。

病院で当番として強制的にやらされる研究、看研はたいていは病院の教育プログラムの一環として行われているものです。

つまり看研とは、問題解決法のひとつとして「研究」という手法を身につけるための教育課程と言えます。別の言い方をすれば、目的を持った研修プログラム。

その目的は、問題解決手法として「研究」を使いこなせる人材の養成、のはず。

そのために、お作法としての研究を体験させられるわけです。

つまり研究の中身が大切なのではなくて、研究という形式を踏むことにメインフォーカスされているのが「看護研究」の特徴。

だから、やもするとテーマを自分で決められなかったり、アドバイスという名の外部圧力でテーマを変えざるを得ないということが、普通に起こります。

テーマが選べない、アドバイスを受けるうちに自分の興味のない全然別のテーマにさせられた。

看護研究は、研究内容はなんだっていいんです。お作法にのっとって研究のプロセスを踏み、論文の体裁を整えて、発表する。その一連の流れが大切なのです。

中身云々より、模擬体験をさせること。だから研究ごっこ。

これは、本来の研究の動機、目的を考えたらそれは有り得ない話です。

本末転倒。

こう考えるといろいろ納得できませんか?



看護研究制度を目的を持った研修プログラムと位置づけた場合、面白い考察ができます。

それはその研修プログラムが目的を達しているか、アウトカムを出せているか? という点。

つまり、日常的に研究という手法を問題解決に使いこなす人材を作れているか、という問題です。

この点は、皆さんに聞いたほうが早いでしょうね。

一度看研をやって、その後、自主的に研究をしたことある人、どれだけいますか?

もう二度とやりたくない!

看研のせいで病院を辞めた!

なんて話はよく聞きます。

つまり人材育成という面で、「看護研究」課程は成功しているとはいえない現状、と思いません?


なにがいけないのかというと、要は看護研究は、研究手法やお作法といったテクニカルなことしか教えていないことにあります。

「やり方は教えた、ほら、あとは自分でできるでしょ」

という丸投げな態度。

成人学習の理論で言うと、いちばん大事なものが抜けています。

それはモチベーションへの働きかけ、そして、研究手法を身につけると、どんないいことがあるのかという自分との関連性の示唆。

これがないから、看護研究は苦痛なだけの苦行に終わり「もう研究なんか絶対しない!」という研究嫌いを増産しているのです。

成人の学びは自ら必要性を感じ自ら学ぶものです。やらされた感の中からは何も生まれませんし、残りません。

せめて研究テーマくらい好きなように選ばせてあげればいいのに、とホント思います。ここが納得しなければやる意味ないです。学習効果もこの時点でほぼ期待できない。

あと、研究手法の活用法ももうちょっと現実的な話で説明してあげればいいのに。なにも学会発表するだけが研究じゃありません。

ちょっとした職場内での業務改善にだって研究手法は使えますし、いちばん生きてくるのが病院の中で何かを提案したり、制度を変えようとするときでしょうね。

日頃の愚痴を愚痴で終わらせたくなければ、研究の手法をとって、文献を調べデータを取って理路整然とまとめて、提出すればいいんです。

これでたいていのことは変わります。

卑近な例で恐縮ですが、これでうちのオペ室、サービス残業がなくなりましたし、土曜日オンコール待機の手当てが増額されましたし、数々の悪しき慣習に終止符を打つことができました。

別に「研究」をしなくたって、研究のプロセスを使えば大げさな言い方をすれば、社会を動かせるのです。

自分の意見を理論立てて、文献から他者の言葉添えをもらい、相手を説得させる文章を書き、プレゼンをする。

これを研究と呼ぶか、一般企業的にプレゼンテーションと呼ぶか。

まあ、どっちでもいいのですが、ナースにとってはそんな社会PR力をつける格好の機会が看護研究なので、ぜひそれを活用してほしいと思っています。

ただ、現在の教育システムとしての看護研究は、成人学習理論的にダメダメなのが残念。

病院の教育担当者は、ぜひPDCAサイクル(plan-do-check-act)に照らして看護研究制度を見直してもらいたいものです。

自分たちがやらせている看護研究の目的はなんなのか? そしてそれはアウトカムを出せているのか?

なんとなく慣習でやるもの、もしそんな程度でやらせているなら、やめてしまえ、と言いたい。

不毛な強制で、もうこれ以上、苦しめないでください。

せっかくの学びと発展のチャンスをつぶさないでください。


関連記事:『ナースのプレゼンテーション〜「看護研究」を考える』

参考記事:対談:研究以前のリテラシー(週間医学界新聞)




posted by Metzenbaum at 19:35 | Comment(3) | TrackBack(1) | 看護師スキルアップ
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看研!

はじめて聞きました。
どこの職場も、それどうなん!って事があるんですね。

最近自分が職場に思っている、それどうなん!っは。
会社オーナーが何をしているのかを社員全員が知らない事です。
今日、彼は何をしてるんだか。。。
Posted by 太田タクヤ at 2011年08月12日 22:17
同感です!
Posted by ミヤモトチエミ at 2011年11月18日 09:57
同感です。私も看護師時代に看護研究による日勤、夜勤後のサービス残業で病院内に遅くまでメンバーと残った経験がありもう二度と正社員で働くかと誓いました。今は看護師辞めてます。看護師復帰するならパートかクリニックかな。
Posted by maki at 2011年12月15日 11:33
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